エッセイ
掲載雑誌:財団法人東京都道路整備保全公社「TR-magazine」 2007 SUMMER NO.8より
さんぽ虫
私は体の中に、さんぽ虫を棲息させている。この虫は気ままで、私が家事をしていようが、仕事をしていようがお構いなく、突如蠢き出し、外出したいと言い出す。
たとえば晴れた日の午前中。場所はキッチンもしくは書斎。包丁かシャープペンかその時々だが、それらを持つ手を止めて、ふと窓の外を見れば、明るい陽射しが差している。それを目にしたらもう駄目だ。さんぽ虫が黙ってはいない。頑是無い子供のように、行こう行こう、と駄々をこねる。
さんぽ虫の好きなコースは大体、決まっている。私は東京の赤坂という所に住んでいるが、青山墓地を抜け、青山通りに出て、表参道までウインドウショッピングをしながら、のんびり歩くのが常だ。
そう言えば、さんぽ虫のお陰で、私はその後の人生観が大きく変わるほどの拾い物をした。仔猫を拾ったのである。
十八年前の八月の深夜。その夜は蒸し暑かったので、さんぽ虫が命じるまま、主人と二人で外に出た。青山通りもさすがに、夜になると歩行者はまばらだ。それを良いことに、私達は歩道の真ん中を闊歩していた。
向かいから、何やら小さな生き物が走ってくる。最初は、鼠かなと思ったが、よく見ると仔猫だ。その仔猫は私達の前に来るとピタッと止まり、さも拾って下さいと言わんばかりの目で、こちらを見上げた。思わず主人が手を差し伸べたが、それが運のつきだった。それから私達はこの仔猫にメロメロになり、召使いのように仕えることになった。
ササミと名付けたその猫は、未だに健在である。ササミを育てる過程で、私達は様々なことを学ばせてもらった。その中でもとくに大きいのは、無償の愛について多少なりとも目覚めたことだ。ササミに求めるものは、何もない。側にいてくれるだけで充分だ。
ササミを拾ってから、私達はお互いにパパとママと呼び合うようになった。あの日を境に私達の生活は一変し、ササミ中心になった。そして大袈裟に言えば、生きとし生けるものすべてに対する慈しみが、増したように思う。
さんぽ虫さん、ありがとう。今、私達がこうしているのは、あなたのお陰よ。たまにはこう褒めておこう。さて、今日もそろそろ参りますか。あなたの好きなコースを。また新しい何かに出会うかもしれないから。
阿木燿子